要約
東日本大震災時、訪問看護ステーションの看護師は、被災直後から72時間以内に緊急性の高い患者の安否確認を優先し、必要なケアを提供した。ガソリンや清潔保持のための熱湯など、地域の協力を得て対応した。震災後1週間から1か月程度では、ケア時間を調整し、職員の復旧時間を確保。4月には通常の業務に戻った。災害時のマニュアルは存在せず、事前の備えもなかったが、経験から1~2日が大切であると学んだ。
目次
発災時施設に利用者などはいましたか?
発災時の状況・どのタイミングでどのように動きましたか?
発災直後~72時間(3日後)までの状況
【1日目】
- 発災直後、利用者宅で被災した看護師と移動中に被災した看護師とがいた。事務所は所長と事務の2名のみ。
- 当時、利用者宅や移動時に被災した際のマニュアルは無かった。そのため、予定通りケアに行く看護師もいたが、多くは一旦事業所に戻ってきていた。
- ケアに行く選択をした看護師はケア内容的に「行かなきゃいけない」と考えた模様。
事業所に戻った看護師は、近所のケースの家族から借りた自転車で安否確認を実施。
- 安否確認については、全然動けない方や30分ごとの吸引が必要な方など、事業所として緊急性が高い人を優先的に回り、当日中に安否確認が出来ている。また、海の方は距離的に行けなかった。
- 自転車を利用した理由としては、当時4号バイパスが全く動かなかったことも理由の一つ。
- 安否確認時に建物からの移動が必要な方については、近所の方に訪問看護師が声を掛けて手伝ってもらうなどしていた。布団店から布団を借りるなどもしている。
- 吸引が頻回な方には、シリンジで吸引する方法などを家族に伝えるなどし、医療機関に繋がるまでの時間を稼いだ。
- 子どものケースについては、誰か親はいるだろうということで回らなかった。育児についての困難さよりも、呼吸に関わる分、吸引が必要な方を優先的に回るなど、ケアの必要さを事業所として判断していた。
- 安否確認は1時間くらいで終わり、その後一旦職員自身の家族の安否確認後、再度事業所に戻ってきている。
- この時点で津波が来ているとの情報は知らず、21時頃に帰宅してから知った。