要約
地震発生時、Eさんの家族は停電と断水に直面し、医療機器の充電や食事の準備に困難を経験した。地震直後から1週間は、近所の人々の助けを借りて過ごし、1週間から1か月は、新たに発電機やポリタンクを購入した。1か月後から3か月までは、生活は徐々に正常化した。災害を経験したことで、家族は常に1か月分の薬を準備するようになり、ポータブル電源の購入を検討している。また、近所との関係や日常の準備の重要性を認識した。
目次
発災時の被害状況
- 停電(3日間)
- 断水(最初は出ていたが3日目にチョロチョロになり、4日目に断水2日間)
- 子供部屋の小物は落ちたが、大きなタンスなどは倒れず。
発災時の状況・どのタイミングでどのように動きましたか?
発災直後~72時間(3日後)までの状況
- 父は出勤前だったので自宅におり、ベッドで寝ていた本人に覆いかぶさり、ベッドの脇にあるタンスをおさえた。妹は幼稚園から帰宅しており、母と一緒にベッドの下に隠れた。姉は小学校におり、近所の同じ小学校の保護者が、学校に迎えに行き、担任へ事情を説明。近所の方が自宅まで連れて帰ってきてくれた。
- 直接、医療機関へ、医療機器の充電をさせてもらえないか問い合わせに行ったが(入院させてくれないかとの期待もあったが・・・)、医療機関では、「沿岸部からの受け入れでいっぱいな状態。非常電源がほぼ使えないので、酸素などもみんなに供給できるかわからない状態のため、充電してもらっては困る。明日になれば手配できるかもしれないので、手配が出来れば受け入れることもできるかもしれない。なんとか自宅で頑張れるなら自宅で」との説明だった。
- 余震もあったため、インバーターを使用し、一晩家族全員で車の中で過ごした。
72時間(3日後)~1週間程度の状況
- 3日目あたりから、水が出なくなり2日間ぐらい断水となった。近所の井戸を持っている方が、「電気がきたので水を汲めるよ」と声をかけてくれて、水を汲ませてもらった。(トイレ、食器洗い、注入ボトル洗浄、吸引器の洗浄などに使用)。
- 食事は、冷蔵庫にあったものを食べた。近所で実家に避難する方がおり、冷凍食品をわけてくれた。プロパンガスだったため、火を使って調理することが出来た。4日目ぐらいからは、近所の酒屋さんも開き、野菜などを買うことが出来た。
- 自宅には、カイロ、ポリタンク、延長コード(5m~10m)、マスク、石油ストーブがあったので、使用しながら過ごせた。