要約
東日本大震災時、Dさんとその家族は、通所施設にいたDさんを迎えに行き、自宅に戻り、敷地内で車で過ごすことを選択しました。医療的ケアは車内で行い、薬や医療物品は予備を用意していました。災害後数日間は車で過ごし、その後親戚の家に避難しました。電気が復旧した後、自宅に戻りました。経験から、ガソリン、灯油、酸素ボンベ等の備蓄、車やバッグに必要な物品を一式入れておくこと、家族間での情報共有、地域との連携等の重要性を認識しました。
目次
発災時の被害状況
- 父:たまたま仕事が休みで自宅にいました。
- 母:美容室でカラーリング後、髪を洗おうと洗髪台で横になった瞬間に揺れました。
- 外に出たら、市営バスや電柱が揺れていました。
発災時の状況・どのタイミングでどのように動きましたか?
発災直後~72時間(3日後)までの状況
- 地震後、本人は通所施設にいたのでまずは大丈夫と思い、母はカラー剤も流さずそのまま帰宅しました。
- 自宅はプロパンガスだったためガスの使用は可能で、水道も止まっていなかったため、まずは急いで髪を洗いカラー剤を流しました。
- その後、自宅にいた父はそのまま自宅に残り母が本人を迎えに通所施設へ行きました。
- 本人を引き取り、帰りにスーパーに寄り電池や懐中電灯を買いました(商品は表の方に出ており、また、レジが動かなかったため入口で電卓で計算して売っていました)。
- 父より「津波が来たから帰宅不可」と連絡がありました。その後しばらくスーパーの駐車場で車で待機しました。避難所も考えましたが、寒いし人が多いと思い、車にいる方が良いと判断しました。水が引いたので20時30分頃に自宅に戻ることができました。
- その後は自宅で過ごすことも考えましたが、また津波警報等逃げなければならない状況になるかもしれないと考えた時に、本人を自宅から車に移すことを考えると、車の中で過ごした方が移動の負担もないと思い、そのまま自宅敷地内の車の中で過ごしました。
- 翌日からは、本人は車で過ごし、家族は明るい時間に自宅でご飯を食べたりトイレを使用したりして過ごしました。数日の間に何回かサイレンが鳴り、車で安全な場所に移動したりしました。
- 医療的ケア(吸引など)も車で実施しました。