要約
東日本大震災時、Bさんの家族は自宅避難し、生活必需品は十分にあった。しかし、電気が5日間停止し、ガスは1か月半不通で、医療的ケアが必要な本人の入浴が困難だった。友人や支援者からの支援があり、2か月後に通常の生活に戻った。災害後、ガソリンと医療用品の備蓄、車のコンセント設置などの準備を行った。災害時には、避難所に行けない人への食料品配布や、入浴だけできる施設の提供が必要であると感じた。
目次
発災時の被害状況
- 自宅は半壊だが、住めない状態ではないので避難所等への避難はしなかった。
- 水は水道が一度も止まらなかった。ガスは1か月半不通だったが、お湯はストーブ(灯油)でわかし、料理もストーブでしていた。電気は5日こなかった。
- ガソリンも前日に満タンにしていたので助かった。
困ったのは本人の入浴。清拭はしていたが、胃ろうの周囲がただれたり、肛門に膿胞ができた。近所のオール電化のお宅で入浴させてもらった。
発災時の状況・どのタイミングでどのように動きましたか?
発災直後~72時間(3日後)までの状況
- 本人は高等部の卒業式で休日だったので、本人・母・祖父母は自宅にいた。
- 避難という意識は全くなかった。福祉避難所もないと思っていたし、知らなかった。
- 本人の物品は十分にあった(2週間分)ので困らなかった。服薬は当時2か所の医療機関。水のない方の家まで水を提供するために運んだりした。
- 車椅子業者さんが灯油をもってきてくれた。母の代わりに他の方に水を運んでもらった。
72時間(3日後)~1週間程度の状況
- 電気が5日目まで不通だったため、医療機関に行って充電させてもらった。吸引器のバッテリーは2個持ちだが、1日はもたない。当時は吸引回数も1回の吸引時間も長かった(10分程度)が、回数を減らしたり時間を短くして対応していた。
- 当時の担任の先生が、頻繁に様子を見に来てくれた。本人の気分転換になって良かった。